iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

反省という言葉の重み

反省という言葉を口にしない安倍晋三は、まさに過去を好きに解釈する歴史修正主義。しかし、歴史修正主義は単なるイズムではなく、国家権力を担う者としては絶対に抱いてはならないタブー。
何故なら、国家は個人にあらず、一貫した国としての責任を継続するからこそ、国内外にその存在を認められているからだ。
かつて国家は、歴史を勝手な解釈で書き換えてきた。それは、自国民を支配する正統性しか考慮する必要がなかった古代のこと。日本書紀がまさにそれ。中身が嘘でも正史の存在が対外的なメンツとなった時代。
しかし、近代以降、国家は他国との条約、航海法、国際法など文書による関係構築を図ってきた。そして、そこには互いの歴史認識を書き換え不可なものとして共有することが前提とされてきた。
その歴史認識を突然破棄し、手前勝手な歴史解釈を断行したのが、ヒトラードイツであり、ヒロヒト日本であった。全体主義侵略国家として、その国際社会の正義に反する行為を説明する虚偽歴史観が必要だったのだ。
換言すれば、歴史修正主義は、侵略や全体主義など、もはや国際正義と懸け離れた蛮行を働くときに必要となるイズムであり、したがって、真っ当な国家なら抱いてはならないタブーなのだ。
安倍晋三は、公的には談話発表以来、そのタブーに手を染めてしまった。アキヒトが、ヒロヒトの歴史的失敗を繰り返すまいと、歴史に拘ってきたのとは真逆の姿勢だ。反省という一言は、大きな意味を持つ。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018081602000160.html