iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

貧困問題 要修正

かつて中流社会と言われましたが、構造改革によって非正規雇用が4割にも達しています。今、日本の平均所得は440万円ほどでこれでもかなり下がりましたが、より庶民に近いのは中央値で、それは350万円。しかも非正規雇用の年収中央値は150~160万円。ほぼボーナスは無いので、月収は約13万円。社会保険や税金を引いた手取りは、10~11万円ほどです。
こういう人が働く労働者の4割なんです。そこへ、女性は、正規雇用でも中央値は、280万円ほど。しかも、頭打ちです。非正規雇用となるとさらに下がります。
年収500万円以上なんて、公務員か大企業正規労働者です。
零細の自営業者、とりわけタクシー運転手など、年収200万円前後まで落ちてます。もう、働く人の5〜6割は食べて行くのがやっとです。現職教員などは、もはや中流じゃあありません。さらに、無年金者や国民年金受給者は、かつかつですね。これも、今70歳を超える厚生年金とか、共済年金の方は、労働者の中央値を超えてますから、羨望の眼差しです。
ただし、日本は、下に向かう圧力はあってもともに上に向かう連帯は希薄です。80年代の戦闘的組合潰しと連合への糾合が、その力を削ぎ落としました。
市民運動も、僕らの若い頃と比べると、未だに年寄りが中心にいます。どの組織も同じです。若い世代の社会意識は、絶望的ですらあります。日常的にもふざけあいはあっても助け合いは極めて弱い。
現在の政治状況はそうしたことの必然です。
でも、世の中は変わります。僕の目の暗いうちかは分かりませんが、どこかで構造的変化が起こるでしょうね。あの東欧が、ベルリンの壁を壊したなんて、凄い変化でした。

 

 

私たちの子どものころの価格と比べたらダメです。
価格は相対的な数値です。今、贅沢はしないけど落ち着いて暮らすには年収400万円がボーダーです。300万円は、もはや子供を大学なんて行かせられません。250万となると、旅行も娯楽も不可能。
はっきり言って、僕たちかつての教職員は、経済的には社会の上層です。だから、貧困というものが、分からないんです。多くの先生が、子供の実態が見えないのもそうした社会的視点が差ないからです。
ましてや、夫婦で公務労働の正規雇用なんて、労働貴族レベルです。
それくらい、日本の労働者の生活は逼迫してます。僕の示した数値で読み取ってもらえないのは残念です。タクシー運転手なんかは、かつて年収600万円以上でした。それが、生活保護支給額より下がってます。全て構造改革で、タクシー事業に自由参入できるようにしたからです。
正規雇用が4割にも達しているのも、政策誘導です。
学校も非常勤講師の方に支えられてます。同じ担任業務をしてるのに、実質、月収20万円もありません。その苦しさは、理解すべきです。
かつてバブル崩壊後、就職氷河期で、どんだけ優秀な若者でも就職がなく、彼らは今45歳前後です。今、発掘現場にも1人来てますが、僕と同じ日当8500円のバイトです。経営工学を学び、測量技能も正規職員より優秀ですが、新卒就職ができないだけで、月収12万円ほどです。そんな若者?がゴロゴロしてます。
かつて、人口流動化政策で農村から、中学卒で集団就職したのも政策誘導です。
個人の労働者の判断ではありません。そして、そうした政策誘導で、圧倒的な人が貧しい生活を強いられているのが日本です。
見た目は、今日的な家財道具やスマホなどの商品を購入してますが、例えば非正規雇用労働者にとってスマホは、それをなくしたら次の仕事が得られないというアイテムになってるので、路上生活者も持ってたりします。だからって、豊かではありません!
物溢れて、暮らしボロボロです。コンビニが我が家の冷蔵庫という子供はどんどん増えてます。決して豊かな話ではありません。子供の貧困は、朝から晩まで働き詰めの親、トリプルワークまでしてる親の中で、ネグレクトとかで出てきます。
しかし、その経済的境界線は、年収400万円に届かない人達に集中してます。
教員も忙しくしてますが経済的動機ではありません。
教師は、働き方の問題。低所得労働者は、所得問題で長時間働いてます。もしくは、働く機会がなく、低所得です。
昨今の、SNSの誹謗中傷や、政権寄りのネトウヨとかの暗躍なども、昔からある低所得者層による憂さ晴らしであり、寄らば大樹の陰心理です。
戦争があれば世の中がガラガラポンで、チャンスが増える話も、まさに貧困社会の典型意識です。大昔からある貧困者の発想です。19世紀以来.格差社会に必ず現れる意識です。
資本主義は、一部の者が大儲けする為に、多数の労働者などが貧困に喘ぐシステムです。これは、世界中の現在と歴史が示す事実です。
個々の人々の意識を超えて、システムの問題です。
ベルリンの壁崩壊以降、マルクス社会主義が全否定されました。しかし、2000年代に入り、全世界的に日本でも貧困問題が露見し、マルクスなど社会問題に取り組む理論書やルポや小説が読まれてます。
つまり、厳然とした資本主義搾取に基づく貧困が無くなっていないということです。アメリカでも、サンダースらが出てきた背景は持たざるものとか持てるものとの階級分裂です。
いまは、マルクス主義とか関係なく、多くの優秀な社会科学系の学者なら、貧困問題のは解決を訴えてます。ある意味、豊かな先進国で、貧困問題をかしっかりと見つめている学者と、見えていない学者は、それ自体、社会の矛盾の現れでもあります。ジョセフ・E・スティグリッツやトマ・ピケティなどは、そうした貧困を人類史的に位置づける学者です。
彼らのほとんどは、今日の政権担当者が、特定の裕福な階層・階級の出自で、資本家との連携も甚だしく、腐敗していることを指摘します。それが、貧困問題解決のブレーキになっていることも理解しています。だからといって、選択肢は、かつての社会主義とか共産主義とかではありません。
民主的選挙で解決するというものです。貧困問題、それを政権転覆で転換するという発想は、日本は、ショボイですが、国際的には良識ある人たちの共通認識です。また、実際に、オルタナティブ、新しい政治、オキュパイ運動など、様々な運動も起きています。日本だけ蚊帳の外ですが。
その意味で大きなポジティブな展望があります。
目を世界に転じれば、日本のような閉ざされた社会が変革された事例もたくさんあります。
分析は悲観的に、でも、展望は楽観的に、というのは昔から言われますが、視野を広げろと言う意味だと了解してます。
日本国内のテレビや新聞や雑誌だけ見てると、展望まで悲観的になりますが、日本のとりわけ社会科学系や人文科学系の学者で外に出てくる人が低レベルすぎるのと、やはり政権与党とのつながりで意図的にそうした人が多用されてきた歴史もあります。これも、欧米社会では、異常視されてる現象ですね。
安倍晋三とべったりの山口敬之なんかの安倍本は、論理的にも事実としてもデタラメで、見苦しい限りですが、安倍晋三を褒めそやすことで特権階層に入って、レイプ犯なのに逮捕を免れてます。
まさに、権力者とマスコミと御用学者と、さらに専門家との癒着は開発独裁国家によくあるパターンです。
これも、大きくは資本主義的貧困問題の結果です。
コロナでこうした問題は大きく露見してます。今こそ、時間もあるので学びを強めるときです。実際、検察庁法案を廃案に追い込んだのも、これまで忙しかった労働者が学んで疑問を持ち、さらに抗議の声を上げたからです。
社会は変わります。
散漫な文章、すみません。