ハイヌウェレ神話とイザナミ
ハイヌウェレ型神話について 付記
2021.9.5
前回の「土偶考」で、以下のように書いた。
豊穣神の体内から食物・穀物が生み出されるオオゲツヒメ・ウケモチの豊穣神神話は、新石器時代以降の農耕社会成立とかかわる中層神話であろう。しかし、その豊穣神を殺害して穀物を得るという話は、醜い汚い異質な者は殺してもよい、殺害によって農作物を略奪すべしという、これも戦争による殺害・略奪が常態化している社会特有の発想である。しかも、スサノオという残虐非道な軍神的存在による殺害であることは、『日本書紀』・『古事記』ではあくまで新層神話として改編されている点、見逃してはならない。
つまり、豊穣神を巡る神話理解の論点は、豊穣の女神が「殺害」されたか「死亡」したかにある。
戦争や略奪の無い初期農耕社会の中層神話では、豊穣の女神は生ける間は排泄物より有用物を人々に提供し、そして「死亡」してなお、その体内から穀物などの有用物を提供した。こうして、農耕の始まりを「女神つまり自然の恵み」によって説明したのが中層神話である。
しかし、戦争と略奪が始まるや、膨大な殺害の結果、勝利した側が敗北した側の穀物などの有用物を戦利品として略奪するという行為が普遍化し、それによって豊穣の女神も「殺害」されて止む無く有用物を放出することになった。つまり、有用物の獲得神話は、戦勝(レイプ・殺害)と略奪による恵みへと改編されたのである。型式は中層神話を踏襲しつつ内容面では大幅に改編され、変質中層神話とでも言えようか。
ニューギニアのハイヌウェレ神話はレイプと殺害と食人を中核としたまさにこの変質中層神話の典型である。また、軍神スサノオに殺害されたオオゲツヒメと天上の支配者ツキヨミに殺害されたウケモチも同様である。ただし、変質中層神話は、さらに国家成立とともに王・軍人・被支配者の3機能が成立し、王家の正統性を語るものに再編されていく。それが新層神話である。したがって、オオゲツヒメ・ウケモチ神話は、ハイヌウェレ型神話を踏襲しつつ、軍神や天上の支配者も登場する形で天皇家の皇統を語る神話に再編されており、厳密には新層神話となる。
ところで、世界創造を説明する古層神話に登場するイザナミは、死してその体内から有用物を排出する話では、ある意味ハイヌウェレ型神話との類似が認められる。イザナミは、火の神カグツチを出産し、それによって陰部に大火傷を負って「死亡」した。そして、その死によって、人々に火が与えられ、さらに死に瀕しながら嘔吐し大小便を垂れ流し、それらが金属・粘土・水・蚕・桑の木・五穀などと人間生活に不可欠な有用物となった。たしかに悲惨な死であるが、「殺害」ではない。出産時の事故による「死亡」である。そして、その「死亡」によって人々に有用物の恵みを与えるという、あくまで農耕社会開始を女神=自然の恵みとして理解する中層神話の構成である。
したがって、このイザナミの「死」をハイヌウェレ神話の「殺害」やマヨ祭でのマヨ娘のレイプ・殺害・食人と同等に語るのは間違いである。ところが、吉田敦彦氏は、「ハイヌウェレとイザナミの類似」として、以下のように述べる。
「イザナミには、「ハイヌウェレ型」の神話の主人公の女神たちと、本当によく似たところがある。なぜならこれらの女神たちも、前に見たように神話の中で押しなべて、やはり太古に、真に酷たらしいと思えるような、殺され方をして死んだ。」(『縄文宗教の謎』P123、下線岩崎)
見られるように、吉田氏によれば、自分の子供を産んで「死亡」したはずのイザナミは「殺害」されたことになっていしまっている。イザナミは、略奪目的に誰かによって「殺害」されたのではない。あくまで出産時の事故による「死亡」である。それに対し、ハイヌウェレ型神話の登場人物は、その有用物略奪(レイプも食人も同様)を目的に女神を「殺害」している。ハイヌウェレ型神話は変質中層神話なのである。神話学者として、より詳細な神話分析が求められるところである。
この神話の内容の違いは、戦争・略奪社会成立以前と成立以後の歴史の根本的な画期を背景にした違いである。
土偶考
土偶考
吉田敦彦『日本神話の源流』(講談社学術文庫)を読んで
「神話の新旧、及びハイヌウェレ説話と土偶について」
吉田氏は、神話学の権威である。その吉田氏が、長らくハイヌウェレ型神話から縄文中期の土偶を解釈する議論が発せられて50年近く経過する。水野正好という考古学者がそれに呼応して土偶は毀されるために造られ、毀されて(殺されて)ばらまかれて新たな命が再生されるという土偶祭祀論を展開し、未だにその弟子や信奉者によって土偶をハイヌウェレ型神話で解釈する論が後を絶たない。概説書や入門書では通説化している感がある。しかし、その論は、8世紀に創造された日本神話がその3000年以上前の縄文時代にも通用するというあり得ない想定で成り立っている。ここでは、筆者の代表作をたたき台に、そもそも神話をどう理解すべきかを整理してみた。
イザナギ・イザナミの国土創世や神々の創造譚、イザナギが死んだ妻イザナミを黄泉の国に迎えに行き正体を見ての逃走譚、そして海・山幸彦の釣り針と海神の娘との結婚譚などは、おそらく古層神話だろう。これらは、天と地と根の三次元的思考、海と陸の二元的思考をベースにした人間の存在を説明する神話としての旧石器時代の狩猟採取社会のものである。ポリネシアなどの南洋社会・中国江南地方・北アメリカ先住民・印欧語族などに同様の神話が世界中に広がっている。
かたや、アマテラス・スサノオ・オオクニヌシら王=祭祀・軍人・農耕という3機能が採用された「神話」は、いずれも軍事力を土台に他の社会・民族を侵略し略奪する王権国家誕生以降の古代社会のものであり、王権支配体制と戦争・略奪を正当化する為の権力による創出「神話」であり、新層神話である。
また、豊穣神の体内から食物・穀物が生み出されるオオゲツヒメ・ウケモチの豊穣神神話は、新石器時代以降の農耕社会成立とかかわる中層神話であろう。しかし、その豊穣神を殺害して穀物を得るという話は、醜い汚い異質な者は殺してもよい、殺害によって農作物を略奪すべしという、これも戦争による殺害・略奪が常態化している社会特有の発想である。しかも、スサノオという残虐非道な軍神的存在による殺害であることは、『日本書紀』・『古事記』ではあくまで新層神話として改編されている点、見逃してはならない。
以上のように神話を整理すると、筆者が重視するハイヌウェレ型神話は、少女の排泄物が有益な物であるという初期農耕社会の中層神話の形式を取り入れてはいるが、内容としては、その少女の排泄物が「陶器や鐘」という「舶来の貴重品」であり、これはもはや初期農耕社会ではなく商品交換社会を背景としており、中層よりさらに新しい時代の「神話」である。
さらに、重要なのは、少女の凌辱・殺害・食人は、神話世界にとどまらず、ニューギニアのマリンド・アニム族のマヨ祭儀などでは、現実世界で実際に行われてきた「血なまぐさい儀式」(吉田『日本神話の源流』P64)だということである。つまり、ハイヌウェレ説話は、閉ざされた世界の少数部族による未開社会の悪しき習俗(凌辱・殺害・食人)を正当化した説話にすぎず、もはや神話ではない。
したがって、実際の殺人・食人を核としたハイヌウェレ説話と、あくまで「形代」(身代わり)として故意破損(あくまで可能性)される縄文土偶とは、別物である。「縄文土偶は、殺され、ばらばらにされる」(同上P76)などという比喩で、ハイヌウェレ説話の土台にある実際の殺人と土偶の毀損を等価に論じるのは大きな間違いである。
一方は、殺人を何とも思わない社会、むしろ殺人の恐れを取り払う必要のある社会、つまり部族間戦争・殺害が度重なる社会の悪しき習俗である。他方は、殺人を恐れ禁忌とし、死を悼み丁寧に埋葬する社会、だからこそ形代を必要とした平和な社会の人と人を繋ぐ祭祀である。両者の根本的な違いを見るべきだろう。
ちなみに、食人の習俗については、「タンパク質の供給源が不足している地域では、人肉食の風習を持つ傾向が高いという説がある。実際に、人肉食が広い範囲で見られた上述のニューギニア島は、他の地域と比べて家畜の伝播が遅く、それを補うような大型野生動物も生息していなかった」(Wikipedia)という。
しかし、縄文時代日本は、現在の日本人より豊かな食生活を送っていたと言われる。動物としてはシカやイノシシやウサギやキツネ・タヌキ・ムササビなどはもとより、タイやマグロやフグなど50種を超える魚類、シジミやアサリなど数百種類の貝類、そしてクリやシイやトチやクルミなど米より労少なく採取でき栄養豊富な堅果類、そして毎年川の色を変えるほどに遡上してくるサケ・マス、等々。あふれんばかりの食資源である。それは、温帯モンスーンと、黒潮・親潮など寒暖海流に囲まれつつ脊梁山脈によって豊かな降水に恵まれ、世界の中でも稀有な森林・海洋・河川資源の豊富な列島ゆえのことである。この列島で、食人しなければならない必然性は皆無である。そんな日本列島の環境を無視して、食人をベースとしたハイヌウェレ説話を縄文土偶と結びつける「理論」は暴論である。
先程も指摘したが、『古事記』の軍神スサノオによる豊穣神オオゲツヒメの殺害は、あくまで古代国家による他地域への侵略と殺害・略奪によって改編された新層「神話」であり、戦争や略奪を前提としない初期農耕社会の農耕起源を伝える中層神話とは異質のものである。
そうした異質性を看過し、形式的な類似から内容までを同質に扱い、「ハイヌウェレ型神話とそれに伴う儀礼」と「多くの点で極めてよく類似した文化が、縄文時代の中期に日本に渡来した可能性がある」(同上P71-72)という前提に立った筆者の議論は、大いに疑問である。
明治維新とは何だったのか
明治時代についての学びのまとめ
2020.12.25 岩崎孝次
明治維新は、以下の4領域における社会変革であった。
しかも、➀から④がほぼその順序で進められていった。
②統治機構•法制度確立
③警察・軍隊の確立
④財政・経済基盤の確立。
なお、➀は、岩倉具視が中心。②は、伊藤博文が中心。③は山県有朋がほぼ独壇場。④は、山県有朋が背後で操る形で松方正義が推進した。
①天皇現人神イデオロギーの確立(神祇官・神仏分離・大教宣布)
1867年10月に大政奉還がなされるや、明治新政府が同月真っ先に行ったことは、神祇官・太政大臣など、まさに古代律令制国家の官僚組織の「再興」であった。そして、この方針のもとに翌1868年1月に神祇事務科が設置され、その半月後の2月には神祇事務局と改組された。これは、中央政府八局制が整備される中、神祇事務局が首位となり、以下、内国局・外国局・軍防局・会計局・刑法局・制度局が設置された。神祇事務局の最初の大きな仕事が、同年3月の神仏分離令であった。これは新政府の最高行政官であ太政官命令として布告された。国家を上げての国民への命令である。
その後、1869年3月には東京遷都が挙行。明治天皇は、古代持統天皇以後、天皇として初めての伊勢神宮に参拝した。明治神宮は、現人神の天皇と最高神天照大神との神格対等として扱った。同年6月、官制の大改革が実施。大宝律令にならい、神祇官・太政官の二官を置き、神祇官を最高位とした。そして太政官の下に、民部・宮内・大蔵・外務・兵部・刑部の6省を置き、職名もカミ(長官)・スケ(次官)・ジョウ(判官)・サカン(主典)の四等官制を復活させた。まさに、古代飛鳥朝の復活である。
ただし、神祇官職務には、古代になかった職掌・監宣教が加えられた。これは、国民を天皇を天照大神に繋がる現人神として崇め信仰させる教化(大教)を役職とした。そして、皇居内には神殿を新設し、「祭政一致、億兆同心」「惟神の大道を宣揚すべき」「天下に布教をせしむ」とする大教宣布の詔が発せられた。
以上のような、経緯で明治新政府はスタートした。ここに見られるのは、行政組織や財政基盤の整備などではなく、何より、現人神天皇を奉る国家神道の確立を急ぎ、天皇の宗教的権威でもって、旧藩主や士族もふくめて全国民を新政府に精神的に従属させることを第一の仕事としたということだ。明治新政府の改革は、「億兆同心」となって「惟神の大道」を突き進むという宗教的精神主義から始まったのである。統治とは、天皇の神格化によって国民を精神的に国家に服属させること、これが明治政府の根本的本質である。明治政府を語るとき、この根本を忘れて近代国家だの、果ては革命だのと言うのは、大きな間違いである。以下、すべての「改革」がこの天皇を神とする宗教的精神主義を軸に進められていき、果ては、その宗教的精神主義によって、世界を相手に無謀な戦争に突き進み、国家滅亡の危機たる大敗戦を招来したのである。
②統治機構•法制度確立(大日本帝国憲法、帝国議会と参議・枢密院)
ここでの軸は、大日本帝国憲法の制定である。少なくとも憲法制定は、明治政府の内在的な衝動ではなく、あくまで欧米列強への近代化粉飾の一端にすぎない。しかし、大久保や岩倉や木戸ら初期政府首脳が2年間も日本を留守にし欧米列強国を視察したことで、彼らは、欧米列強国の政治・法制度はもちろん、技術力・生産力、経済システム、さらには思想や文化など、実見し学んだ。そこで、欧米列強と日本の格差を実感し、欧米列強に一等国として認めてもらうには憲法が不可欠と学び、古色蒼然としていた初期に比べて、より近代的な国家建設に向かうことになった。
しかし、その国家建設は、あくまで明治政府を構成する薩長旧士族らの権力者としての利権と権力の専横が主目的であった。まずは、単にクーデター的に旧幕府・旧藩主権力を簒奪したにすぎない大久保ら新政府要人らは、参議というポストで自らの立場を擬態し、やがて内務卿や大蔵卿など尤もらしい地位を作り、さらに華族制度を復活し西欧風に爵位を設定し、元々足軽などにすぎなかった者たちが侯爵や子爵になっていった。
そして、議会制度など考えもしなかった連中であるが、先程の欧米視察もあり、また自由民権運動の圧力もあり、帝国議会を開くことにする。しかし、伊藤ら中央政府を牛耳る連中は、この議会を有名無実化し、当初の権力者の専制を維持することに奔走した。伊藤らの当初の案(夏島草案)では、議会には天皇への上奏権・政府への質問権・法案の発議権・請願を受理する権限などもなかった。山県有朋は、憲法制定前に地方議会制度の改悪に乗り出し、一万円以上の地租を納める第一級選挙人(大地主・財産家)だけで議会の3分の1を占めるようにし、地方を国家統制できるようにした。国会議員もそれにならって、より多い地租を治める階層だけの議会とした。さらに、非選出の貴族院を設け、これは皇族や華族によって構成され衆議院と同格とした。これによって、帝国議会は、金持ち・大地主・華族ら特権身分の巣窟と化した。明治議会を考えるとき、この議員の基本構成を無視してはならない。こうした議員構成を考えれば、民主主義代議制システムだなどとは到底言えない実情である。
加えて、実際の帝国議会では、天皇大権が大いに利用された。のちに野党勢力が大きくなる中でも、政府は事あるごとに天皇詔勅を発し、議会に議論すらさせなかった。天皇大権にたいし、議会は全く機能することができなかったことも、亡国の侵略戦争を加速させた。
さて、この天皇大権と憲法の関係であるが、やはり帝国憲法制定時にも大いに問題になった。民権運動の影響もあり、憲法は「民権の保護」か「君権の強化」かで揺れる部分もあったが、基本において「民権の保護」は天皇より与えられた貧弱な恩寵的な「臣民の権利」でしかなかったし、「君権の強化」こそは、この帝国憲法によってこの上なく高められたのである。
そもそも朕が「祖宗に承りし大権に依って」臣民に対し、改正不要の「不磨の大典」として、つまり欽定憲法として発布されたこと。「天皇は元首にして統治権を総攬」し、「帝国議会の協賛」を前提とするも「立法権を行う」とし、三権分立などありえないこと。「天皇は陸海軍を統帥す」にとどまらず「天皇は陸海軍の編制及び常備兵額を定む」とし、軍備全権を掌握すること。そして、このように独裁的に「万世一系の天皇が統治する」とするも、その「天皇は神聖ニシテ侵すべからず」として、天皇大権を立憲的に規制する発想が崩壊していること。
こうした天皇不可侵・全権独占は、権力の専横を縛る立憲主義を殊とする近代憲法とは全く真逆の天皇独裁憲法であるとともに、その天皇を輔弼する政府に青天井の権力を与えてしまったのである。つまり、大日本帝国憲法こそは、国家の暴走をもたらした元凶なのである。
明治政府は、現人神天皇イデオロギーを軸に国民を精神的に支配し、さらに、大日本帝国憲法を軸とした行政・法制度によって、あらゆるチャンネルでの民衆の国家への異議申し立てを遮断した。しかし、それだけでは、狭隘な精神を持つ山県有朋は、枕を高くして眠れず、あらゆる手段を講じて、民権運動の広がりを阻止し弾圧し抹殺すべく暗躍する。
具体的には、そもそも西南戦争で勝利を収めた農民兵の西欧式訓練の強化では、明治当初導入した騎兵を重視したフランス式から、集団歩兵戦を重視したプロイセン式に切り替えた。これによって、兵士はまさに戦場の駒となった。
加えて、山県は兵士の精神を重んじた。そのために西周の知識を利用し、兵士への訓戒となるべき軍人勅諭を練り上げた。山県が到達したのは「鴻毛より軽し」とする兵士からの徹底した人権意識の排除であった。これは、民権運動の基盤が当初不平士族の反乱から生じたのに対し、地租改正などによって農民の不満を吸収する形で民権運動の組織基盤が農村に移行するにともなって、その農村から供給されてくる兵士に民権思想が混入することを恐れたからだ。その意味でも、山県は、秩父事件など、あえて農民兵士を投入し徹底的に軍事制圧した。
また、警察組織の充実を常に心がけ、その中で内偵の重要性に気づく。民権運動の渦中に内偵を忍び込ませ、さらに運動の過激化を促進させ、そこで弾圧をする。これが山県のやり方だった。その為には、大坂事件のように、10年の刑期で入所していたヤクザの頭目を釈放しそのヤクザ組織の情報網を利用して、朝鮮半島に向かいクーデターを企てようとしていた大井憲太郎ら民権派の生き残りを一網打尽にした。その成果を喜んだ山県は、警察組織内部に政治犯捜査の独立を模索する。やがて特高とされる国事犯・思想犯を予防的に捜査する特別警察制度を創設する。日本は、この特高と治安維持法によって、物言えぬ社会・戦争に全面協力する国民が形成されたことを思えば、山県の業績は計り知れないものがある。
さらに天皇大権。利用して警察軍隊機構で弾圧。さらに天皇家の財政基盤作りと、とりわけ松下デフレ政策と軍拡の為の増税と、それによる農村破壊・民権運動潰し
④財政・経済基盤の確立。(松方デフレ:民権潰し、寄生地主・財閥形成)
最後に、経済的な分野での国家形成については、何より重要なのは松方デフレとも言われる事案である。大隈による放漫財政以後、日本はインフレに苦しむことなる。それは、基本的に地租改正による貨幣経済への全面的な依拠があり、さらに生糸などの輸出軽工業の成長による好景気による。しかし、日本は鉄道や鉱山など重工業部門ではほとんど西洋の技術者と輸入品に頼ってきた。そのために保有金・銀の目減りは甚だしく、日本国紙幣の兌換率は1対1.7程度となり、ますます銀貨が暴落することになった。そこで、大隈に代わった松方正義大蔵卿は、市中の紙幣を回収し焼却することで、金余り状況を打開しインフレを是正しようとした。これは、政府による積極的なデフレ政策である。
デフレとなれば、物が安くなり売っても儲からなくなる。これには、農村が大打撃を受けた。米の暴落である。また、生糸産業も大暴落する。そこへ加えて、国家財政の健全化としての地租大増税。これによって、明治17年(1884)頃には、多くの弱小農民は土地を手放し、小作となった。また、同じ農村では、コメと家内制工業で儲けていた民権派の豪農・大地主が没落する。かたや、同じ地主でも没落農民に金を貸し貸金業で儲けていた大地主は、借金のかたに農地を買いたたき小作に耕させて儲ける寄生地主となり、さらに余った貨幣を銀行株を買うなどし、金融資本へと発展していった。
さて、この松方デフレと大増税、仕掛け人は山県有朋であった。彼の目的は、あくまで民権運動潰しと軍拡。なぜ松方デフレと繋がるのか。一つは、民権派地主・豪農の没落によって、民権運動の財政基盤を破壊することができたこと。民権派豪農は、その大きな屋敷をアジトとし潤沢な資金を活動資金とするなど、これまで民権活動家に惜しげもなく捧げてきた。加えて、自ら開明的な思想を持ち、ルソー「民約論」を読んだりと、家業そっちのけで民権運動に打ち込んでいた。それが、松方デフレと大増税で経済基盤を奪われたのだ。これは、松本清張や色川大吉が指摘するように山県と松方が意図して行ったものであった。
もう一つは、松方デフレで貨幣の兌換率が1対1になったことと大増税で国家の財布は大いに潤った。それは、そもそも征韓論を出立とし海外侵略を夢見る山県にとって不可欠なことだった。まだ当時の日本は、最新の軍艦のすべてを西欧から購入していた。海外派兵にはなんとしても最新鋭の多数の軍艦が不可欠。潤った国家財政で、日本は一気に大軍拡へと走る。10年後(1894)、日本は日清戦争に突入する。
山県にすれば、松方デフレと大増税は、大嫌いな民権運動潰しと、恋焦がれた軍艦大増設の両取りの目論見であり結果であった。
なお、この松方デフレは、他方で、三井・三菱・住友などの巨大産業資本を育てることになった。あらゆるものが安くなる中、政府は、鉱山や工場や造船所など国有資産を一気に安値で払い下げする。こうして、三池炭鉱などで大儲けする「鉱山の三井」、三菱重工業の核となる「造船の三菱」の基盤が出来上がった。
政府によって土地も金も吸い上げられた弱小農民が小作農に没落し娘を売り渡す世情の中、戦中社会を経済的に支配し続けた寄生大地主と巨大財閥がこうして政府によって生み出されていったのである。
自由民権運動について
さて、こうした政府に対して、民権運動はどれだけの力を発揮しえたのであろうか。
そもそも民権派活動家は、その多くが尊王攘夷の征韓論侵略主義の士族であり、愛国主義・天皇主義に縛られ、民権の内実化すなわち天賦人権・国民主権など最後まで理解できなかった。自由党の当初の中核が、板垣退助や後藤象二郎を軸とする土佐立志会で占められていたことでも、そのことは明らかだろう。板垣退助など、征韓論で西郷と共に政権から追われ野に下ったのであり、彼の侵略思想はいくら指摘してもし過ぎることは無い。
結果、薩長支配の政府憎しが基本動機の民権運動の中心は、政府と対決することそのものに終始し、政治主義的な性格を持った。自由というも、不満士族の不平を訴える自由としての言論の自由が中心で、庶民・農民の暮らしの改善や、不平等な経済システムへの抵抗思想もない。さらには、また、その政治思想においても立憲主義の真意が理解できず、運動目的を国会開設に特化し、自ら制憲主体とはなりえなかった。やがて、新聞条例や集会条例など山県のこれでもかの弾圧政策で鎮静化し、自由党は解散に追い込まれた。そして、国会開設が約束されるや、民権派諸党は準備政党となり、体制内政党へ向かった。
当然、軍拡・経済には警戒感ゼロ。帝国議会が開設されても、山県軍拡に批判もせず、農民の困窮と民権を連動できず、結果、秩父事件に見られるように、農民の小作化と寄生地主の横暴を傍観し、農民と共に闘う民権派は数えるほどであった。運動の見殺しである。
むしろ、日清戦争をあおり、三国干渉で遼東半島の支配権を奪われるや、旧民権派たちはこぞって政府を弱腰外交と批判し、街頭に出た。侵略戦争批判ではない。もっと戦果を獲得しろとの運動である。これ以降、旧民権派は、すべて愛国主義・国粋主義と一体化し、平民主義者徳富蘇峰などは帝国主義者に完全に思想転向した。植木枝盛でさえ、日清戦争前の1882年京成事件では、日本国の朝鮮干渉を黙過し、清国の軍事干渉と攻撃を批判し、何もできない日本政府に歯ぎしりする精神構造であった『檄文』。これには、民権派の意識を海外に向けてくれたと山県は大いに喜んだと言う(松本)。
なお、植木は、天皇を尊敬し続けていた。「さればわが日本の天皇陛下が2500有余年来皇統連綿として万世一系にあらさせらるることは誰一人知らぬ曹も無けれども」(「議員内閣論」)「吾輩は大いに日本を愛する者なり、吾輩は大いに皇上を敬する者なり、吾輩は立憲政体を重んずる者なり」(「民主制君主制の語」)と、天皇崇拝・愛国主義を明言している。最左派とされる民権派の植木にしてこれである。彼らの「民権」というものが、国民主権とは大いにかけ離れ、所詮は天皇に授けられた臣民の恩寵的権利の域を出ることが無かったゆえんである。また、政府のあらゆる政策を下支えする天皇制イデオロギーと愛国主義を政府と共有する民権派が、明治政府を根底から倒し人民主権国家の樹立を目指すなど考えも及ばないこと明白である。
【参考文献】
松本清張『象徴の設計』
樋口陽一『自由と国家』
村上重良『国家神道』
E・Hノーマン『日本における近代国家の独立』
色川大吉『近代国家の出発』
米TVドラマ「ザ・パシフィック」を見て
第二次大戦、日本が占領していた南太平洋のガダルカナル島やペリリュー島などでの日米の太平洋戦争を舞台に実話をもとにしたテレビシリーズ。2010年に放映。現在、アマゾンビデオで視聴できる。全10話。
元海兵隊員ユージーン・スレッジのノンフィクション作品『ペリリュー・沖縄戦記』と、同じく元海兵隊員ロバート・レッキーの回想記『南太平洋戦記―ガダルカナルからペリリューへ』に加え、議会名誉勲章受章者である海兵隊員ジョン・バジロン一等軍曹のエピソードを基にして脚本化。物語は彼ら3人を中心にして描かれている。
まず、このドラマを見ての何よりの感想は、戦場の描写があまりにリアルで、今冗談を言い合っていた仲間がたった一発の銃弾で目の前で倒れ死体となる様や、わずか数ⅿの距離を移動する途中に機銃や迫撃弾で兵士の足や腕や内臓を吹き飛ばされる様、激戦の後は日米両兵士の死体が浜辺やジャングルの泥の中で死屍累々と横たわっている様など、あまりにも簡単に偶然に人が次から次と死んでいく戦場の現実に、何度となく息を止めてしまうこともあった。
そして、このドラマを最後まで見たのは、私の既成概念を大きく変えていったからだ。これまで太平洋の島々での日米の闘いは、日米の産業力・軍事力の圧倒的な差がそのまま戦場でも現れ、日本軍が旧式の威力の弱い兵器で散発的な攻撃しかできず最後は万歳突撃で玉砕していくのに対し、米軍は制空権も制海権も抑え、艦砲射撃と空爆によって圧倒的な威力と砲弾の量で日本軍の拠点をほとんど殲滅したのち、海兵隊の兵士が安全になった島に上陸すると思っていた。したがって陸戦兵士はほとんど日本軍の攻撃を受けることも無く進撃していくことができたとイメージしていたが、それが全くの思い違いであった。
実際には、ガダルカナル島でも、まず、上陸そのものが命がけで、日本軍の機銃掃射の雨嵐の中、遮蔽物の無い浜辺で次から次と米兵が死んでいった。また、揚陸艦への爆撃が直撃し、陸に上がるまでもなく木っ端みじんに吹き飛ばされ、100人規模の兵士が一瞬で死んでいった。対ドイツ戦のノルマンディー上陸作戦では、オマハビーチの浜辺を数ⅿ進むのに、何百人という連合軍兵士が亡くなっていったとされるが、それに匹敵する状況であった。
また、ようやく抑えた拠点にも日本兵は執拗に夜も昼も奇襲をかけて、そのたびに、多くの米兵も亡くなった。NHKでかつてガダルカナル島の戦闘を再現していたが、日本兵がやみくもに突撃するところへ、米軍が大量の機関銃掃射で対応し、米軍にはほとんど危害を加えることができなかったというものだったが、米軍サイドから見ると全く違う両軍命がけの戦闘であったことがわかる。
ペリリュー島では、初めから米軍の空爆や艦砲射撃のダメージを受けない陣地設置をしており、火力も兵士も十分に温存していた。中には厚さ3mにもなるトーチカを構築し、そこから発せられる機銃掃射は米兵の死体の山を築いた。兵士たちは、来る日も来る日も、日本軍の的確かつ重厚な攻撃に、次は自分が砲弾で吹き飛ばされるかもしれないという恐怖の中を前進していた。結果、海兵隊員たちの戦死率は隊の7割ほどにまで達し、それでも兵士の補充ができずに戦況は苦しくなる一方であった。また、日本軍の粘り強いゲリラ戦は夜も昼もなく、とりわけ夜は足音もなく塹壕近くまで忍び寄り手りゅう弾や銃剣で次から次と米兵たちが殺された。そのため、夜も寝ることができず兵士たちは疲弊する。しかも物量に優れる米軍ではるが、険しいジャングルで輸送車が使えず、最前線には銃弾や食料や水さえ途絶えた。兵士たちは泥沼のジャングルのなか、戦闘だけでなく飲まず食わずの死に物狂いのサバイバルを強いられていた。
何より、日米兵士たちの距離感が想像以上に近いのだ。両兵士が素手で殴り合うこともあったり、1m先に突然、現れる日本軍兵士を撃ち殺し返り血を浴びることもしばしば。逆に、日本軍兵士に銃撃され真横にいる仲間が一瞬で崩れ落ちることも。結果、戦場には、日米両軍兵士の死体が折り重なって累々と積み重なり、死体は片付けられることも無くそのまま腐敗しウジがわき、腐敗臭を放つ中でかろうじて支給された缶詰を開けて食べ、死体のすぐ近くの塹壕で仮眠をとるようなこともしばしばであった。
また、沖縄戦では、日本軍が民間女性の腹にダイナマイトを巻いて米軍側へ「避難」させ、その民間人を背後から日本兵が銃撃して米兵もろとも爆破する場面もあった。さらに逃げ場を失った日本兵が民間人を自分の盾として逃げようとし、民間人もろとも銃撃されて死んでいく場面もあった。ガマに避難していた沖縄県民を日本兵が放り出したり、ガマの中で泣き騒ぐ子供を刺し殺したりという犯罪行為はよく指摘されてきたが、米兵が目撃したこのような民間人を犠牲にした日本軍の「戦い方」に改めて怒りを感じた。
このような戦況のなか、ドラマに登場する兵士も次から次と心を病み、戦後も、しばらく立ち直れない兵士もいた。
ともかく、南太平洋の島々での日米の戦闘については、論文や小説などは多数あるが、やはり映像ならではのリアル感は、比べ物にならない。戦争の実相が見事に表現されている。ぜひ、多くに人に見てもらいたい作品だ。そして、戦後75年たち、ほぼ戦場体験者がいくなる中、多くの日本人が戦争と言うものの冷徹かつ野蛮な行いを忘却し、それゆえにまたぞろ戦争ができる国にしようとする政治の流れが出てきているが、多くの日本人がこの作品を見て、再考してほしいと思う。
改憲とか、自衛隊を戦闘できる軍隊にとか、尖閣諸島や竹島を戦争で確保すべきだなどと、勇ましく大きな声で唱える右翼たちは、この映像に見られるような戦場に自分の身を投じることを想像しているのだろうか。私は、このドラマを見て、絶対に戦場などに行きたくないし、誰にも行ってほしくないと思った。そして、日本を1ミリでも戦争に近づけてはならないと改めて思った。
慰安婦問題について 永井和氏の論文より
永井和氏は、橘大学歴史学科の教授。現在、ぼくが橘大学で講義を受けている先生。
先生のホームページを見ると、すごい論文が掲載されていた。
本論文の意義は、単に政府・軍が慰安婦・慰安婦施設を組織的に設置していたという事実の論証だけでなく、政府・軍・警察が一体となって、慰安婦を集めて海外に送る行為を民間業者に公認してやらせつつ、その公認した事実も募集行為も非公然化させ、さらに組織的に隠蔽していたという事実を、史料に基いて論証されている点だ。画期的な論文だと思う。ぜひ、読んでほしい。
慰安婦問題で、決定的な証拠に基づく論文だ。
本論では、慰安婦施設は、日本軍が組織的に直接的に動いて設置したということが明瞭に示される。ただし、あくまで慰安婦の募集は民間業者に委託していた。しかし、当時の法律でも慰安婦を集めて海外に送ることは違法であった。ましてや正義の戦争を戦う皇軍にそのような醜悪な恥ずべき施設はあってはならないという認識を国家・軍も持ちながらなので、その業者の脱法行為を隠蔽し、決して軍に許可され依頼を受けたなどと公言させないよう、各県警察にも通達を出し徹底させた。そして、本来その違法行為を取り締まるべき警察もグルになって、違法で醜悪な慰安婦募集活動を公然化させない点だけに規制をかけ、何としても一定数の慰安婦を確保すべく務めたという。最後は領事館も違法な慰安婦の中国への渡航を許可したということである。まさに国家挙げての違法かつ醜悪な行為を行って慰安婦を集めていたと言うことだ。
さらに、1941年になると、慰安婦施設の設置は、軍経理将校の任務となり、公然と軍隊が慰安所を付属させた。ただし、あくまで民間業者への委託であるが、その業者は軍属とされ軍人と同じ制服を着服させ、第三者には軍組織の一員としか思えない状況であった。
一部、抜粋する。
《公娼制度のもと、国家は売春を公認してはいたが、それは建て前としては、あくまでも陋習になずむ無知なる人民を哀れんでのことであり、売春は道徳的に恥ずべき行為=「醜業」であり、娼婦は「醜業婦」にすぎなかった。国家にとってはその営業を容認するかわりに、風紀を乱さぬよう厳重な規制をほどこし、そこから税金を取り立てるべき生業だったのである。
しかし、中国との戦争が本格化するや、その関係は一変する。いまや出征将兵の性欲処理労働に従事する女性が軍紀と衛生の維持のため必須の存在と目され、性的労働力は広義の軍要員(あるいは当時の軍の意識に即して言えば「軍需品」と言った方がよいかも知れない)となり、それを軍に供給する売春業者はいまや軍の御用商人となったのである。》
《国家と性の関係は現実に大きく転換したが、売春=性的労働を「公序良俗」に反する行為、道徳的に「恥ずべき行為」であるとする意識、さらに慰安婦を「醜業婦」と見なす意識はそのまま保持され続け、そこに生じた乖離が上記のような隠蔽政策を生み出すにいたった。慰安婦は軍・国家から性的「奉仕」を要求されると同時に、その関係を軍・国家によってたえず否認され続ける女性達であった。このこと自体が、すでに象徴的な意味においてレイプといってよいだろう》
以上が、要約・抜粋であるが、さすが史料実証主義を自認される先生らしい論文だ。自由主義史観とされる連中の議論がいかに的外れで史料を無視したものかもよくわかる。さらに、彼らは「強制連行」の有無に問題の焦点をあえて限定し、さらに史料を歪曲して、あたかも軍が「強制連行」しないように指導したとまで事実をゆがめて主張する。結果、一番の問題点である軍・国家が組織的に慰安婦施設を設けていた点については、当時の国家・軍・警察、さらに今日の安倍政権と同じく、隠蔽している点は、まさに同じ穴の狢だと言わざるを得ない。
日本の近代化は如何に。
❶近代化は、本来、産業化、都市化、民主化の3つの契機が一体化するもの。
しかし、日本では、明治期、国家による上からの近代化で、猛烈な産業化と都会化を遂げつつ、民主化は完全放棄。
否、国民は信仰すら一元化され天皇を神として崇める臣民、天皇の為に死ぬ奴隷とされた。侵略戦争はその帰結だ。
❷戦後は、米国主導の民主化がもたらされたが、国民自身が憲法制定勢力として民主憲法を獲得したわけでは無い。しかし、戦前から変わらぬ支配階層への立憲的抑制装置としては大いに機能した。労働運動を軸とする社会の民主化が拡大したが、企業別組合主体で衆愚政治は超えられず主権者は育たなかった。
❸世界がベルリンの壁崩壊で独裁国家が次々と民主化される中、日本はむしろ政治腐敗と企業支配が深まり、労働者・庶民は主権者から遠ざかる。さらに、バブルにより都会化が促進され、人々は煌びやかで快楽的消費行為に酔った。もはや政治的民主化はどうでも良くなった。隣国韓国の民主化闘争と対照的。
❹そして、バブル崩壊と小泉構造改革。非正規雇用が常態化し、労働者の賃金も雇用条件も切り下げられ、ブラック企業と過労死・自殺が増加。民主化すべき課題は溢れんばかりなのに、むしろ労働者・庶民は自己責任論を自己内化し、お互いを排斥し合った。民主化の為の連帯など不可能になった。
❹そして、バブル崩壊と小泉構造改革。非正規雇用が常態化し、労働者の賃金も雇用条件も切り下げられ、ブラック企業と過労死・自殺が増加。民主化すべき課題は溢れんばかりなのに、むしろ労働者・庶民は自己責任論を自己内化し、お互いを排斥し合った。民主化の為の連帯など不可能になった。
❻第二次安倍自民党政権の誕生。特定秘密保護法、安保法制など反民主主義、軍拡路線へ。カウンターデモクラシーの高まりでSEALDsなど若者が街頭に。新しい社会運動の姿を見せる。民主化の大きな進展だ。しかし、安倍独裁の前に撃沈。市民は立ち上がるも労働者は企業奴隷のままでは、民主化は不可能。
❼そして、コロナ禍。民主化を放棄してきた日本社会の異様さが露呈。五輪の為にPCR検査を恣意的に絞り感染者数を少なく見せる政府のやり方は、国家主義そのもの。さらに、国民への支援がマスク2枚は漫画ですらある。コロナ対策より検察庁法案成立に躍起となる政府。これも民主化の遅れによる一現象。
❽コロナ対策を一切やらず、前回約束した公約も何一つも実現せず。豊洲問題では都民を欺いた。何より、コロナ対策より五輪重視で、対策が遅れ感染爆発を招く。さらに都知事立候補のためにアラートも休業要請も解除し、再び感染爆発を招く。なのに、366万票で圧勝。東京都民の民主化は程遠い。
❾都民の愚民的投票行為は、まさに日本の近代化の象徴。産業化と都会化を極めた世界都市。しかし、民主化は、東アジアでも香港や韓国などにも及ばない。むしろ、都会化の極み、煌びやかな快楽一杯の消費生活で、ブラック企業など産業化の矛盾は忘却。政治的奴隷状態には見向きもしない。だから愚民へ。
➓都会の煌びやかな消費生活に忙殺されても足元の矛盾は消えない。会社は人権も無く理不尽な命令とパワハラ、超過勤務。不安定雇用で将来設計もままならない。政治は、法治国家を打ち壊し権力も公金も私物化の極み。産業化と都会化はもう十分。民主化はやはり上からでは不可能。国民自身の課題なのだ。
11)国民自身が担う民主化とは。民主主義の実現か。デモクラシーは古代ギリシアでは、何も考えない多数の愚民が人気ある権力者に全てを委ね法律も無視した悪政を許す衆愚政治のことだ。それより1人の賢人による法律を守る正しい政治、哲人政治が理想とされた。しかし、それでは国民自身は主体ではない。
12)民主化とは、民が主になること。国民が主権者になることだ。権力者にお任せの愚民ではなく、権力者の政策を憲法に照らして監視・検証し、国民自身が社会的課題を認識し、その解決策を連帯の中で編み出し、政策提言運動を創造する。つまり、多数の国民が賢人となり主体的に政治参加することだ。
13)極まる産業化、資本主義化と都会化を放置して民主化は不可能だ。国民の6割は労働者。労働者が職場で権利と人権を守り闘い資本の論理を是正することが不可欠だ。生活者は、都会の煌びやかな消費生活に時間と資力と気力を奪われていては、民主化活動はできない。仕事と消費に明け暮れてはダメだ。
14)民主化には時間と気力と資力も必要だ。職場で時間と労力を搾り取られ、生活の場でさらに消費活動に時間と金を吸い取られていてはもはや何もできない。明治以来の上からの近代化、民主化無しの産業化と都会化で、私達は仕事と消費だけの愚民にされてきたのだ。故にそこから脱却しなくてはならない。
15)古代ローマの権力者はパンとサーカスで市民の支持を集めた。市民も大盤振る舞いする権力者を支持。権力者はその支持を基盤に法も秩序も無視して独裁に走った。莫大な借金でパンとサーカスを振る舞ったシーザーはローマ市民に最も人気ある独裁者だった。パンは産業化、サーカスは都市化に相当する。
16)ローマはパンとサーカスで衆愚政治と独裁を蔓延化させた。市民は愚民となり主権者は存在しない。現代の私達もたくさんのパンを得る為に人権を捨て死ぬほど働き、煌びやかなサーカスに時間と金を注ぎ、民主化を忘却している。今こそ産業化と都市化の弊害を超克し、主権者として民主化に歩み出そう。