iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

土偶考

土偶

吉田敦彦『日本神話の源流』(講談社学術文庫)を読んで
 「神話の新旧、及びハイヌウェレ説話と土偶について」

 吉田氏は、神話学の権威である。その吉田氏が、長らくハイヌウェレ型神話から縄文中期の土偶を解釈する議論が発せられて50年近く経過する。水野正好という考古学者がそれに呼応して土偶は毀されるために造られ、毀されて(殺されて)ばらまかれて新たな命が再生されるという土偶祭祀論を展開し、未だにその弟子や信奉者によって土偶をハイヌウェレ型神話で解釈する論が後を絶たない。概説書や入門書では通説化している感がある。しかし、その論は、8世紀に創造された日本神話がその3000年以上前の縄文時代にも通用するというあり得ない想定で成り立っている。ここでは、筆者の代表作をたたき台に、そもそも神話をどう理解すべきかを整理してみた。

 イザナギイザナミの国土創世や神々の創造譚、イザナギが死んだ妻イザナミを黄泉の国に迎えに行き正体を見ての逃走譚、そして海・山幸彦の釣り針と海神の娘との結婚譚などは、おそらく古層神話だろう。これらは、天と地と根の三次元的思考、海と陸の二元的思考をベースにした人間の存在を説明する神話としての旧石器時代の狩猟採取社会のものである。ポリネシアなどの南洋社会・中国江南地方・北アメリカ先住民・印欧語族などに同様の神話が世界中に広がっている。
 かたや、アマテラス・スサノオオオクニヌシら王=祭祀・軍人・農耕という3機能が採用された「神話」は、いずれも軍事力を土台に他の社会・民族を侵略し略奪する王権国家誕生以降の古代社会のものであり、王権支配体制と戦争・略奪を正当化する為の権力による創出「神話」であり、新層神話である。
 また、豊穣神の体内から食物・穀物が生み出されるオオゲツヒメウケモチの豊穣神神話は、新石器時代以降の農耕社会成立とかかわる中層神話であろう。しかし、その豊穣神を殺害して穀物を得るという話は、醜い汚い異質な者は殺してもよい、殺害によって農作物を略奪すべしという、これも戦争による殺害・略奪が常態化している社会特有の発想である。しかも、スサノオという残虐非道な軍神的存在による殺害であることは、『日本書紀』・『古事記』ではあくまで新層神話として改編されている点、見逃してはならない。

 以上のように神話を整理すると、筆者が重視するハイヌウェレ型神話は、少女の排泄物が有益な物であるという初期農耕社会の中層神話の形式を取り入れてはいるが、内容としては、その少女の排泄物が「陶器や鐘」という「舶来の貴重品」であり、これはもはや初期農耕社会ではなく商品交換社会を背景としており、中層よりさらに新しい時代の「神話」である。
 さらに、重要なのは、少女の凌辱・殺害・食人は、神話世界にとどまらず、ニューギニアのマリンド・アニム族のマヨ祭儀などでは、現実世界で実際に行われてきた「血なまぐさい儀式」(吉田『日本神話の源流』P64)だということである。つまり、ハイヌウェレ説話は、閉ざされた世界の少数部族による未開社会の悪しき習俗(凌辱・殺害・食人)を正当化した説話にすぎず、もはや神話ではない。
 したがって、実際の殺人・食人を核としたハイヌウェレ説話と、あくまで「形代」(身代わり)として故意破損(あくまで可能性)される縄文土偶とは、別物である。「縄文土偶は、殺され、ばらばらにされる」(同上P76)などという比喩で、ハイヌウェレ説話の土台にある実際の殺人と土偶の毀損を等価に論じるのは大きな間違いである。
 一方は、殺人を何とも思わない社会、むしろ殺人の恐れを取り払う必要のある社会、つまり部族間戦争・殺害が度重なる社会の悪しき習俗である。他方は、殺人を恐れ禁忌とし、死を悼み丁寧に埋葬する社会、だからこそ形代を必要とした平和な社会の人と人を繋ぐ祭祀である。両者の根本的な違いを見るべきだろう。

 ちなみに、食人の習俗については、「タンパク質の供給源が不足している地域では、人肉食の風習を持つ傾向が高いという説がある。実際に、人肉食が広い範囲で見られた上述のニューギニア島は、他の地域と比べて家畜の伝播が遅く、それを補うような大型野生動物も生息していなかった」(Wikipedia)という。
 しかし、縄文時代日本は、現在の日本人より豊かな食生活を送っていたと言われる。動物としてはシカやイノシシやウサギやキツネ・タヌキ・ムササビなどはもとより、タイやマグロやフグなど50種を超える魚類、シジミやアサリなど数百種類の貝類、そしてクリやシイやトチやクルミなど米より労少なく採取でき栄養豊富な堅果類、そして毎年川の色を変えるほどに遡上してくるサケ・マス、等々。あふれんばかりの食資源である。それは、温帯モンスーンと、黒潮親潮など寒暖海流に囲まれつつ脊梁山脈によって豊かな降水に恵まれ、世界の中でも稀有な森林・海洋・河川資源の豊富な列島ゆえのことである。この列島で、食人しなければならない必然性は皆無である。そんな日本列島の環境を無視して、食人をベースとしたハイヌウェレ説話を縄文土偶と結びつける「理論」は暴論である。

 先程も指摘したが、『古事記』の軍神スサノオによる豊穣神オオゲツヒメの殺害は、あくまで古代国家による他地域への侵略と殺害・略奪によって改編された新層「神話」であり、戦争や略奪を前提としない初期農耕社会の農耕起源を伝える中層神話とは異質のものである。
 そうした異質性を看過し、形式的な類似から内容までを同質に扱い、「ハイヌウェレ型神話とそれに伴う儀礼」と「多くの点で極めてよく類似した文化が、縄文時代の中期に日本に渡来した可能性がある」(同上P71-72)という前提に立った筆者の議論は、大いに疑問である。