iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

ヨーロッパ教会建設の歴史と思想

教会建築は、古代ギリシア・ローマ建築をベースに、初期のバシリカ式と集中式から始まり、前者は、ヴォールト構造という天井をアーチ型にする為に頑丈な壁を必要とすることからほとんど窓のない薄暗い教会建築へ。これがロマネスク建築。ル・トロネ修道院のように、清貧の思想にはピッタリの雰囲気となる。
かたや、集中式は、より高いドームを作るために、ペンデンティブという独特の工法を編み出した。これは東ヨーロッパ、つまりビザンティン教会で発展し、アヤソフィアという、手から吊り下げられたドームと言われる荘厳な教会を生み出した。今は、イスタンブールの博物館になっている。いつか、このドームの下から眺めてみたい。

でも、ロマネスクもビザンティンも、構造的な欠陥を持つために、崩落・倒壊を繰り返してきた。ロマネスク建築はヴォールトの裾に働く横への力により壁が倒壊し、ビザンチン建築はドームが歪んで崩落。
そこで、こうした欠陥を克服したのが、ゴシック建築。天井部のヴォールトには、交差リブを用い、横への力を分散。さらに、飛び梁(フライングバットレス)と、控壁で、壁による支えを不要とした。こうして、巨大な天井高40mを超える教会建築を可能にし、さらに壁も取っ払い、ステンドグラスで明るい光溢れる空間に。

教会建築の歴史は、古代ギリシャ・ローマ以来、3000年の時を超えて、技術や考え方や思想が、継承と克服の連続にあり、見事に積み重ねられている。これは、ヨーロッパ思想と全く同じだ。
かたや日本は、突然古墳が作られ狂ったように古墳だらけになったと思いきや、また突然、全く別のの寺院と仏像建造の嵐へ。それも、明治となれば、政府によって廃仏毀釈、つまり寺の破壊と神社優遇へ。宗教的施設の変遷一つを見ても、全く一貫性のない、断絶の歴史。
日本の思想も、かつて丸山真男が、タコツボ型とし、議論も思考も歴史的に積み上がらないと言ったが、同じように断絶の歴史。建築も思想も流行りの一つに過ぎず、乗り越えや継承を伴わずに移ろうだけ。
ヨーロッパ人の根強さ、しぶとさに感嘆するとともに、日本人の軽薄さに改めて切なさを感じてしまう。