iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

新元号と孤独死

元号発表、新しい「時代」の到来などと完全な誤認報道が喧しい中、こんな記事を見つけた。
中身を読めばわかるが、こういう孤独死という身近な寄る辺が無くなった人にこそ、政治が手を差し伸べなくてはならないはず。

なのに、単に名前が変わるだけで、その政治も社会も経済も何も変わらないのに、新時代の到来だと馬鹿騒ぎし、その中心で内閣総理大臣が嬉しそうに踊っている様は、この社会のおぞましさを象徴していて、悲しくなる。
しかし、元号を変えても、馬鹿騒ぎしても、この間の政治が、嘘と強権に頼り、大企業や既成権力だけを大事にし、下々の暮らしや将来を不安に陥れてきた事実は何も変わらない。元号で現実は変えられない。

しかし、新元号=新時代の到来だとする完全な間違いを吹聴する政府は、結果として、この馬鹿騒ぎを大いに利用し、僕も含めた日本国民の様々な事情を抱える個人を黙殺し、孤独死などの悲しい現実を覆い隠し、さらに加速的に、庶民生活を垣間見ない政治を邁進していくのだろう。

元号というのは、具体的な時代状況が変わらないのに、あたかも世の中が刷新されるかのような誤解を作り出してしまう役割を担ってきた。だからこそ、元号は、権力者による時間の支配の装置として機能してきた。しかし、考古学という事実・実物で歴史を科学的に見ていこうとする学問の端くれにいる者として、こうした古代からの悪習をいまだに利用する政治を看過できない。

 

30~40代の「孤独死」壮絶な後始末に見えた現実
https://toyokeizai.net/articles/-/273520