iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

縄文土器と日本文化 〜自由と権力〜

1月末に提出の日本美術史のレポート。
一昨日、書き上げました。
自分の興味ある視覚から、実際の日本絵画について述べないというような課題。ノルマは2000文字。

色々考えたけど、ちょうど岡本太郎の『日本の伝統』という本に「縄文土器」という一節があったので、それに関わらせて論じました。その概略を紹介します。

岡本太郎は、縄文土器を「こってりとして、複雑な、いやったらしいほどたくましい美徳」とし、今の日本人の神経には「やりきれない」と言います。それは、弥生時代以降、現代日本まで「奇妙にチンマリとおさまった形式が、一つの系統としてメンメンとつながっている」為に、縄文土器の美しさが理解できないからだということです。岡本氏の言う通り弥生土器や埴輪を縄文土器と比べると、その違いは歴然。前二者のあっさり感とシンプルさ、後者のこってり感と複雑さは、何とも埋めがたい溝があります。

ただ、では、その弥生時代以降の日本文化が全て「弱々しくひらったい、あきらめの情緒主義」で現代日本まで一系統として繋がっているのでしょうか。
それは違うと言うことで、日本文化を形作った平安・室町・桃山時代の代表作を例に論じました。
①国風文化と言われる大和絵の代表作である『伴大納言絵詞』の「応天門炎上」の場面に描かれた猥雑でリアルな人々の表情や動きがもたらす躍動感。
水墨画では、雪舟の『四季山水図』や長谷川等伯の『紙本墨画波濤図』のダイナミックで情緒主義などカケラもない力強さ。
③「わび」「さび」文化を生んだ桃山時代の各種風俗画、例えば『花下遊楽図屏風』に描かれた傾奇者の陽気で楽観的で躍動感ある描写。
と言った事例を挙げて、もっとも日本的とされる作品群に、縄文土器とつながる
「こってりとして、複雑な、いやったらしいほどたくましい美徳」が見事に描写されている事実を指摘して、岡本氏の主張の一面性を批判しました。

しかし、岡本氏の言う通り、日本文化は、弥生式と同じ特質を連綿と継承し、その形式主義やひ弱な様相は、歴史の大道でさえあります。先ほどあげた事例は多数派ではありません。桃山時代以降江戸時代まで連なる狩野派は、権力に召し抱えられる中、永徳らのダイナミズム、こってり感が弱まり形式主義へと流れていきます。でも、日本文化全てが、その流れだけの一系統でないのは事実なのです。
つまり、日本文化には、岡本氏が言う、縄文式と弥生式の二項対立がずっと緊張感ある対立として存在し続けてきたと言うのが真実なんだと思います。

そして、その文化の両極が何によってもたらされたか。簡単に言えば、弥生時代以降生まれた権力者や国家というものが、文化を支配していく中、庶民の生み出す躍動感が奪われ、岡本氏が言う形式主義や弱々しい悲観主義へと傾斜していったのです。逆に縄文式の豊かな美徳はその権力のない社会ゆえに、自由なエネルギーの発露が可能だったからです。
でも、文化が全面的に権力に統制され萎えてしまうことはありません。江戸幕府も明治以降の近現代政府も、幾度となく、自由で力強い庶民から生まれた文化を抑圧してきました。あるいは権力に吸い上げて馴化させていきました。でも、いかに権力が強くなっても、命の叫びである文化を完全制覇することは不可能です。これからも、この二項対立は緊張した矛盾関係として続いていくことでしょう。

概略のつもりが長くなりました。実際のレポートも4600字になりました。まあ、自分なりの思いが書けたと満足してます。本文は、またブログに上げときます。