iwapenの日記

60歳にして考古学を学びに大学に入りました。また、社会や政治についても思いの丈を発信してます。

コロナ対策と官僚主義・腐敗政治

元々、ほんの一部の厚労省の医療技官が、今回の対策を立案し推進してきた。
つまり、エボラ出血熱のようなサイレントキャリアが殆ど有り得ない、いきなり重症化する感染症を参考に、クラスターを見つけ検査・隔離を徹底すれば十分にコロナの感染爆発は防ぐことができるとし、逆に韓国や欧米諸国のような大量検査は、感染者の実数把握より統計的傾向が掴めば十分で金と人の無駄とし、検査拡大を拒否。それどころか、保健所に圧力をかけ、検査拡大を阻止してきた。
もちろん、その背景には、彼等技官と感染研との癒着がある。

しかし、この3週間は、東京など大都会では、検査数を殆ど増やしてもいないのに感染者が10数倍強になり、検査が少ない為に陽性率6割を越え、市中での感染爆発が背景にあることは明らか。
なのに、いまだに当初からのクラスター一辺倒の「対策」を変えず、感染爆発に火の車の各自治体や医療現場の強い要請にも、積極的に方針転換せず、ホテル待機や今回のドライブスルー検査を「容認」するだけ。しかし、国家の財政的制度的支援なしに、地元で勝手にやれることは限られる。つまり、政府が方針転換しない中での「容認」とは、余計なことをするなというメッセージに過ぎず、実質ブレーキだ。

各種、パンデミック映画や小説でも必ず問題になる官僚主義が、この国難にあたって日本では本領発揮!韓国や欧米諸国は、感染症対策では官僚主義が最も弊害になるとし、早くから大統領や首相が前面に出て陣頭指揮を振るった。
しかし、日本では、私は何度も書いてきたが、3月に入っても、日本の総理や閣僚らは、気楽に飲み会やゴルフや地元の後援会回りに奔走。安倍首相自身、対策会議も殆ど5分程度の出席でそのまま「意見交換」などと嘘をついて飲み会に出歩いていた。ゴリゴリの官僚主義と無能かつ腐った政治家たちが、国民の命と暮らしを危機に陥れてきたのだ。

私達は、少なくない税金を支払っている。国家は、それを蓄え各種政策に使う。つまりは、元々国家の金は私達国民の金なのだ。それ故、国民の危機に際し、その金を直接国民の救済に使うのは当然。しかし、経済的にも医療的にも、日本の政府は、金をケチり国民のために使うことを嫌う。逆に、首相のお友達や私的な繋がりの者には、公金をふんだんにばらまく。まるで中世の王国レベルだ。官僚も公僕とは真逆の政治家の私僕と成り果て、その背後で天下りなどの私腹を肥やしている。こんな腐った国家・政府に国難のコントロールは無理だ。こんな時、海外の国々は、政府にノーを突きつけ、政権交代させてきた。日本人は、こんな状況でも唯々諾々と、反政府の政治的発言や行動(さすがに時節柄集会とか無理だが)まで「自粛」してしまっている。しかし、その「自粛」こそが腐った政府・政権を支えてきたのである。

以下、記事からの抜粋。
《ドライブスルー検査のメリットは、病院での検体採取より多くの検査ができ、患者1人ごとに防護服を交換する必要がなく、手袋の交換だけでよい点などがあるという。
 玉川氏は「実はこれスタッフが厚労省に聞いてるわけですね。(厚労省の担当者の)『実施するかどうかは自治体の判断』というこれだけ読むと“いいですね、やって下さい”っていうニュアンスに見えるんですが、実際は違います」と言い、「“止めませんよ”“あっそうなんですか、やるんですか。じゃあどうぞ”みたいな、そういうニュアンスだったそうです」と明かした。そして「だから邪魔してないだけましっていうことでいいのかなあと。ドライブスルー検査が合理的だってことが分かってるわけじゃないですか。だって合理的じゃなかったら韓国が始めた後にどんな国だって採用しないですよ。米国だってドイツだってみんなこれ採用してる。なぜなら合理性があるからなんですね。ところが今でも厚労省は“やりたいんですか、どうぞ、止めはしませんけど”。こういう状況ですから」とあきれた表情で話した。》